鹿島神宮の近くにある、もうひとつの鹿嶋
──鹿嶋・宮中パブスナック街を歩く
2026年2月4日 up
鹿島神宮の門前町から、ほんの少し離れた場所に、
かつて鹿嶋の夜を支えていた通りがあります。
🩰 なぜここに来たのか
昨年末、鹿嶋の地図を眺めていて、ふと気が付いた。
「あれ。こんなところに、飲み屋さんが集まっているエリアがあるんだぁ」
わたしが鹿嶋で足を運ぶ場所といえば、
鹿島神宮、イオン、鹿島中学校ちかくのコーヒー豆屋さん、コメダ珈琲店。
ときどき、アントラーズのクラブハウスへ行ったり……。
あ、スタジアムも🤭
そのくらいだろうか。
(ちなみに私は公共交通機関で鹿嶋へ行っている🚃🚌
車というか、免許を持っていません✨)
だから、この飲み屋さんエリアの存在を知ったとき、
“隠れた宝島”を見つけたような気持ちになった❣️🏝
下戸ではあるけれど、
お酒の気配が漂う街を歩くこと自体には、なぜか惹かれる。
昼と夜とで、まったく違う表情を見せる場所。
夜の終わり頃まで、確かにそこにあった人々の喧騒を想像しながら──
お酒の街に縁のない私は、敬意をもって、お邪魔させていただいた。
名付けてよいのなら、
ここは「鹿嶋・宮中パブスナック街」🍸🌙
🏙 鹿嶋・宮中パブスナック街の景色
住所で表せば、このパブスナック一帯は、
宮中(きゅうちゅう)四・五・七・八丁目にまたがるエリアだろうか🗺
鹿島神宮の門前町を、南北に短く通る
「角内通り(すみうちどおり)」。
その道をそのまま南へ進んでいくと、
やがて、この「鹿嶋・宮中パブスナック街」の
中心にあたる、いわば目抜き通りへと、
静かに接続する。
通りはやがて、南東にカーブを描き、
鹿島NTT前交差点へと出る。
スーパーの「タイヨー」がある辺りだ💡
(サンポートの方じゃないよ🤭笑)
そこから南へ――つまり右へ折れれば、
「にぎわい通り」にぶつかり、
さらに左へ行けば、国道124号へと続いていく。
この国道124号線は、車の流れ、人の動線、
この地域の生活の中心が、はっきりと感じられる道だ。
けれど、そうした“今の賑わい”から、
ほんの少しだけ脇へ逸れた場所に、
このパブスナック街は、静かに残っている🌿
時代の流れから、取り残された、というよりも、
置いていかれなかった場所――
よそ者の私の目には、そう映った✨
(地図Ⓑ~Ⓒ地点)
目抜き通りであるこの沿道には、
平屋、あるいは低層の建物が並ぶ。
そして、一つ路地に入ったところにも、
小さなスナックやパブが、
肩を寄せ合うように点在している🍸
住宅も、ごく自然に建っており、
この街が、誰かの“生活の延長線上”にあることがわかる。
昼間の通りは、驚くほど閑静だ。
けれどその静けさは、
何もない、という静けさではない。
夜になれば、灯りが入り、
人の声が、建物の奥から滲み出してくるであろう気配だけが、
なんとなく、残されていた🕯️
(地図Ⓒ地点)
🩷 この日のわたしの足取りと、思いがけない声
昼下がり、鹿島神宮へご挨拶を済ませたあと、
わたしはフラフラと、
「こちらがパブスナック街であろう」と感じた方向へ、
特に当てもなく歩みを進めた。
ほどなく、バーや居酒屋、
タイのマッサージ店、タイ料理店が軒を連ね、
その並びに、道祖神公園が現れる🛝
このエリアの、北西側にあたる場所だった📍
公園では年配の男性たちが、
ゲートボール(グラウンドゴルフ?⛳)に興じ、
こども園の若い女性の先生が、二人、立ち話をしている。
そんな長閑な光景を横目に、
ふと立ち止まってマップを確認すると、
どうやら、すでに目的地に辿り着いていたらしかった❣️
少し進むと、
韓国料理店、小料理屋さん、居酒屋、スナック店が
小さく集まっていた🏘
平屋造りの「スナックMiu Miu」さんの隣には、
3階建てほどのコンパクトなテナントビルが建っている。
この辺りの建物は、高くても3、4階建て。
おかげで、空がひらけた雰囲気なのだ🕊️
「35歳までか~。私は応募できないなぁ🤭」
などと思いながら、軒を連ねるバーやスナックの外観を、
写真に収めていた。
そのときだった。
👨🏼🍳 この地で五十年。ご主人のお話し
「ここ、売るの?」
後ろの、少し高いところから声をかけられた。
振り返ると、向かいの建物に外付けされた、
小さな資材置き場のような部屋で作業をしている、おじさんだった。
(あ😅不動産屋さんか、お店関係者だと思われたのかな?)
「いえ!この辺りの、土地とか郷土のことを調べておりまして。
こんな風貌ですけど、ね」
そう言うと、気さくなおじさんは、
「そういうこと知るなら、鹿島神宮に行ったらいいべよ!」
と、教えてくれた。
わたしは、
「鹿島神宮へは、先ほども伺いまして、普段からよく行っております!
だから今度は、周辺のことも知りたいなと思って、歩いてきました。
この辺りは飲み屋さんが多いんですね!」
と、答えた。
おじさんは、向かいの建物の一階で、和食屋さんを営んでおられるご店主だった。
「今日、店が休みじゃなかったら、
お茶でも出して、店で話を聞かせてあげたいんだけど、
これから出かけなくちゃなんないしなぁ」
そう言って、
「また、いつでも来てよ!ごくろうさん」
笑顔でそう告げて、おじさんはとても親切にしてくださった。
——ここからは、先ほどのやり取りのなかで、
おじさんから聞いた話の要約である。
五分ほどの会話のなかで、
この一帯の“かつて”と“いま”について、いろいろ伺うことができた✨
要約すると、こうだ。👇
- 昔は、あのカーブしている道
(角内通りからNTT前交差点あたり)が、ものすごく賑わっていた。
この地域の繁華街だった。 - おじさんは、自身が営んでいる和食屋さんの建物
(3階建てほどの建物だ)のすぐ隣を指さして、
「昔は、そこも飲み屋に貸してたんだ」
と教えてくれた。 - いま残っている店は、地力のある店。
もしくは——
(はす向かいの更地を指して)
「そこみたいに、土地を売っちゃうかだな」 - 国道124号沿いに店ができ始めてから、
こちらは、だんだんとさみしくなった。 - (お客さんは、地元の方や、工業地帯でお勤めの方が多いんですか?)
「そうだなぁ……。
まあ、住金が半分にしちゃったからな」
※住友金属(現・日本製鉄)の規模縮小を指しているようだった。 - 「(ここに)夜くれば、分かっぺよ!」
- 「俺は、ここで五十年、店やってるから」
(——そりゃあ、いろいろ知っているはずだ、と思った。)
話の中でわかったのは、
このエリアの、大まかな時の流れはもちろん、
その和食屋さんの建物だけでなく、
すぐ隣の建物も、
おじさん自身がオーナーである、ということだった。
「昔は、そこも飲み屋に貸してたんだ」
そう言って指さした先は、
いまは、空きテナントになっている建物だった。
——人が出入りし、
灯りが点き、
夜ごとに、声と笑いが滲んでいた場所🍸🌃
思わぬお声がけから、
この土地に生きてきた方の、
“生の時間”を、ほんの少しだけ分けてもらったような気がした。
そして何より、鹿嶋の方に、
こうして気さくに話しかけていただけたことが嬉しかった。
観光でも、取材でもなく、
ただ歩いていただけのわたしに、
この街は、ふっと声をかけてくれた。
自分のスキな地域と、
小さなつながりが、ひとつ結ばれたような気がして——
胸の奥が、キラリとかがやいた💖
🏬 国道124号へと移った賑わい
鹿嶋の街の賑わいは、
どんな背景で移っていったのか?
鹿嶋市のウェブサイト(
鹿嶋市中心市街地活性化基本計画
)などから、
その変遷のあらましを知ることが出来たので
簡単にまとめてみよう📝
昭和44年頃から、
宮中地区にあった公共施設が、相次いで移転し、
人の流れは、東へと広がっていった。
翌年、昭和45年に、国鉄鹿島線が開通し、
鹿島神宮駅が開業。
けれど、そのことが、
東へ流れた人の動きを
大きく変えることはなかったという。
生活の重心は、すでに、
別のところへ向かいはじめていたからだ。
さらに、1970年代。
車が生活の中心になるにつれ、
バスや徒歩で巡る街の時間は、
静かに後退していった。
やがて、国道124号沿いに、
大型店やロードサイド型の店舗が集まりはじめる。
車で来て、
用事だけを済ませ、
また走り去っていく。
便利で、合理的で、
けれど、立ち止まる理由の少ない賑わい。
鹿島神宮の門前町、
そして、宮中のパブスナック街は、
その流れのなかで、
少しずつ、表舞台から外れていった。
——けれど。
それでも、完全に消えてしまわなかった場所が、
ここには、確かに残っている。
💖 また、歩きに来たい場所
まだ、歩けていない路地がある。
昼の静けさとは違う、
夜の時間帯の、この街も、
いつか少しだけ、覗いてみたいと思った🌙🍸
お話しを聞かせてくださった、
この道50年のご店主が営む和食店にも、
改めてお伺いしてみたい。
派手さはないけれど、
人の気配がやさしく残る、
今のこの一帯の雰囲気が、
私には、とても心地よかった。
スキな鹿嶋に、
またひとつ触れることができたこの日。
キラキラとした充実感を胸に、
私はこのあと、
コメダ珈琲店へと向かった☕
また、歩きに来ます。
お邪魔させていただきます🪽🩷
