引き寄せを、科学とロマンで抱きしめてみた🩷
~生物学編~
💖
引き寄せ。
誰かと惹かれ合うこと。
理由は分からないけれど、
「確かだ」と感じる出来事が重なること。
そのロマンは、
今もこれからも、
変わらないものだと思います。
でも同時に、私は思いました。
もしそれが、科学の視点からも説明できるとしたら。
そのロマンは、
もっと強く、
もっと確かなものになるのではないか、と🩷
今回は「人と人が惹かれ合うこと」
とくに恋愛を想定して書いていますが、
ここで扱っている仕組みは、
場所・出来事・あらゆる存在とのご縁にも
同じように働くものです。
🩷
前回の記事では、
脳科学、特にRAS(ラス)という視点から
“引き寄せ合うこと”
そして、
“惹かれ合うこと”を
見つめてみました。
このRASとは、
私たちが「意識したもの」を
見つけやすくする脳の仕組みです。
でも、
脳で気づくよりも先に、
反応しているものがあります。
それが「身体」です。
頭が理由をつける前に、
身体は、
「YES」や「NO」を出しています。
そんな身体の反応に目を向けて。
生物学という視点から、
そして、私自身の感覚を通して
引き寄せを見つめてみたいと思います🪄
…
⚗️ 科学が示す、惹かれ合うときに働く4つの視点
- 脳科学(RAS)
- 心理学・神経科学
- 統計的確率
- そして、生物学
今回は、
身体そのものが反応する「生物学」に
焦点を当てていきます🌟
🕊️ 身体がひらく、その一瞬
生物学の視点で見ると、
私たちの身体は、
思考よりもずっと早く
環境や相手を判断しています。
安全か。
危険か。
近づいていいか。
離れたほうがいいか。
この判断は、
言葉になる前に、
感覚として現れます。
それが、
身体が出す「YES」や「NO」。
体がYESを出すとき、
そこには、分かりやすい興奮はありません。
むしろ、
とても静かで、ささやかな変化として
現れることが多いように感じます。
💡
🌿 例えば、こんなサイン
- 呼吸が、自然に深くなる
- 肩やお腹の力が、ふっと抜ける
- 逃げたい気持ちが出てこない
- 無理に理由を探さなくなる
これらは、
誰かと比べるものでも、
毎回同じ形で現れるものでもありません。
ただ、
「あ、今、拒否していない」
その感覚があれば、
それで十分なのだと思います🌷
🪽 YESのとき、まず確認したくなる
大切なものに触れるとき、
私は、強くは触れません🐥
触れてもいいか、確認をして、
そっと、やさしく。
それは、
好きだからこそ、
身体が慎重になるのだと思っています。
- 強く触れない=距離を測っている
- 確認をとる=相手の反応を尊重している
- やさしく触れる=安全を最優先している
これは、
身体が出す、いちばん誠実なYES
だと、私は思います🪽
💞「特性」であって、欠如ではない
交際経験がないこと。
触れられることが苦手なこと。
好きになる人が、とても少ないこと。
それらは、
「何かが足りない」サインではありません。
むしろ生物学的には、
刺激や他者との距離に対して
とても精密なフィルターを持っている、
ということなんです。
安全であること。
安心できること。
そして、波長が共鳴していること。
それが確認できない限り、
ひらかないようにできている✨
生物学の視点で見ると、
「触れられるのが苦手」という感覚は、
- 皮膚感覚
- 自律神経
- 境界感覚(パーソナルスペース)
が、とても繊細だということです。
だから、
生命的に安全だと感じた相手にだけ、
身体が、ふっと緩む。
また、
「好きになる人が、とても少ないこと。」
これは、
価値を感じる対象を、
身体がとても慎重に選び取っている、
波長の一致を、とても大切にする
という、特性なんです💎
💗 想像できる、というサイン
触れていないのに、
触れられたら、どんなに心地よいだろう、
しあわせだろうと
想像できてしまう相手がいる。
それは、
頭が先走っているからでも、
「恋愛はそういうもの」という
思い込みからでもありません。
身体がすでに、
「この人なら、
危険ではないかもしれない」
と、
仮の許可を出している状態。
だから、その心地良さを自然に想像できるんです。
そもそも、
身体がYESを出していない相手への
心地よさの想像は、
自然には、浮かんでこないものですよね🕊
🌿 触れていないのに、分かってしまう理由
ここで私のおはなしになりますが…
私は、波長や空気、存在感を
敏感に感じ取るタイプなのだと自覚しています📡
だから、
物理的な接触がなくても、
心や身体が、先に反応する。
それは、
「この存在が近づいても、
自分が壊れない気がする」
という感覚に、
とても近いものです。
波長が合う人のそばにいると、
心がやわらかくなります。
触れていなくても、
確かに感じる。
これも、
身体が出している
大切な許可のサインなんです💓
そのどれもが、
自分の心と身体を、
大切に扱えているという
特性のあらわれなのだと、
私は感じています✨
🕯 安心とときめきは、ひとつながり
よくある語られ方では、
安心は、穏やかさや落ち着き。
ときめきは、刺激や高揚。
そんなふうに、
別のものとして扱われがちです。
でも、生物学の視点で見ても、
この二つは、
本来、分断されたものではありません。
むしろ、
安心があるから、ときめける。
ときめきがあっても、
安心がなければ、
身体は、ひらかない。
私にとって、
安心とときめきは、
どちらかを選ぶものではなく、
共に在るものです。
ただ、
ひとつだけ、順番があります。
安心が先で、
ときめきは、そのあと。
その順番を、
身体が覚えている人ほど、
好きになる人が、
とても少なくなるのかもしれません🤍
🧬 生物学的に見る「安心」
安心とは、
- 危険ではない
- 支配されない
- 自分を失わない
と、
身体が判断している状態。
このとき、
- 呼吸は、自然に深く
- 筋肉は、ゆるみ
- 神経は、過覚醒していない
つまり、
身体が「ひらいている」状態です🌿
💗 生物学的に見る「ときめき」
ときめきは、
- 近づきたい
- もっと知りたい
- 触れ合いを想像できる
という、
接近のエネルギー。
でもこれは、
- 安心が土台にあるとき → 心地よい
- 安心がないとき → 不安・緊張・依存
へと、
性質が変わります。
「安心とときめきは、共存する」
という感覚。
それは、
安心をベースに、
ときめきが芽を出す、
とても健全で、成熟した在り方です🩷
だから、
- ときめくだけの相手には、開かない
- でも、安心だけの関係にも、留まらない
その両立が、
とても自然に、
身体に起きているのだと思います🩷
🪄 おわりに
身体が導く、ロマンの行き先
身体が、
「YES」と言う存在に巡り逢うことは、
生きているあいだに、
あるか、ないか。
それほど稀有なことだと、私は感じています。
心と身体は、
切り離されたものではなく、
いつも、つながっている。
だから、
身体の反応を大切に扱うということは、
そのまま、
心を大切にすることなのだと思います。
身体の反応を蔑ろにしないこと。
身体を、信じること。
身体を信じるということは、
心を信じる、ということ。
そうしていれば、
いつか、
稀有な存在と惹かれ合う日が来る。
それは、
頭で探すものではなく、
身体の反応が、
そっと導いてくれるもの。
私は、その流れを、
ロマンと呼びたいのです。
💖
この場所は、あらゆるラベルにしばられない存在たち──
わたしたちのように、カテゴリに属さない“いのち”とともに、
トキメキのままにふうわり集う、小さなやさしさの空間です🫧
「自分がスキな自分」でいられることを、
いっしょに大切にしていけますように…🕊️
