優勝の夜に観測した “悔しさ” と “本音” ❤️🔥
鹿島アントラーズ、優勝しました。
嬉しい。ほんとうにおめでとうございます。
でも同時に——
こういうとき、胸の中にいつも湧いてくる“もうひとつの感情”があることを、
私は知っています。
前に優勝したときもそうだった。
皆が喜んでいる中で、自分だけまるで違う気持ちを抱いているようだった。
その感情が消えてしまう前に、その想いの正体を掴みたくて、
試合が終わって数時間のあいだ、自分の気持ちと向き合いました。
これは、
私がどこへ向かおうとしているのか——
その“心の観測記録”です。
もしよろしければ、そっと読んでいただけたら嬉しいです🕊️✨
優勝は嬉しい。
おめでとう…なんだけど、それだけで終わらない。
胸の奥には、なぜだろう “悔しさ”が湧く。
その悔しさの正体は、
「選手が羨ましい」という気持ちでした。
あのピッチで、
自分の力を出し切り、
涙したり笑ったりしている姿を見ると、
胸の奥でぎゅっと何かが締めつけられる。
“私の人生にも、あんなふうに
『やったぞー!』と叫べる瞬間が来るんだろうか。”
そんな問いをひっそり持ち続けていた。
サッカー選手の想いは、私には完全には分からない。
察することしかできないし、
私の想像はきっと一部でしかない。
それでも——
ここで気づいたことがある。
やっぱり、
私は“観客席で満足する生き方”では収まらないんだ…
今日、そのことを静かに思い知った。
羨ましがるだけで終わりたくない。
喜びも悔しさも、ちゃんと自分の人生で味わいたい。
今日の“悔しい”は、
諦めではなく、
「もっと生きたい」
「もっと前に進みたい」
そんな願いのサインだった。
悔しさを見つめたら、
そのすぐ隣に“怖さ”もそっと顔を出しました。
自分の気持ちが歪んで受け取られてしまうんじゃないか——
そんな不安を抱えて、
ずっと心のどこかで自分を守ってきたんだと気づいた。
※ この“怖さ”については、
後日あらためて丁寧に綴ろうと思います。
もしよければ、その記事もそっと読みにきてください🕊️✨
今日あらためて、
“悔しさ”と“怖さ”の両方を観測したことで気づいたことがある。
私は、自分の人生を“当事者として生きたい”んだなあ——。
その気づきの先には、こんな感覚が静かに広がった。
🌸 「自分がスキな自分を生きて、悔しさも嬉しさも感じて、もがいて、自分いいじゃんって思って生きて」いたら…
そこまで生きられた“その先”には、
自然とこうなるんです。
✧ “同じように本気で生きてる人が、あなたを見つける。”
✧ “認めようとして認めさせるんじゃなくて、
生き様が勝手に届く。”
あなたが(わたしが)求めているのは
“誰かに選ばれる自分”じゃなくて、
“生き様が響く人の視界に入ってしまうほどの自分”。
その違いは、とても大きい。
誰かのために形を整えるんじゃなくて、
あなた自身が豊かに、誠実に、悔しくて、嬉しくて、
ちゃんと“当事者”として生きていたら、
🪽 「あ、この人、主役として生きてるな」
って、同じく主役の人生を生きてる人の感性には自然と伝わる。
あなたの願いは、
承認欲求じゃなくて、
“生き様の共鳴”への願いなんです。
だから健全で美しい。
🌿 本気で生きてる人って、分かるんです。
誰かのために頑張ってるんじゃなくて、
自分の人生を動かすために汗かいてる人。
悔しさをごまかさずに持てる人。
心が動くことを否定しない人。
揺れながらも前に行く人。
傷ついても、羨ましくても、嬉しくても、
ちゃんと全部抱えながら進む人。
そんな人は、他の“主役で生きてる人”と
自然に惹き合うんです。
努力じゃなくて、
演出じゃなくて、
意図じゃなくて、
“生き方の気配”で分かるから。
💖
この場所は、あらゆるラベルにしばられない存在たち──
わたしたちのように、カテゴリに属さない“いのち”とともに、
トキメキのままにふうわり集う、小さなやさしさの空間です🫧
「自分がスキな自分」でいられることを、
いっしょに大切にしていけますように…🕊️

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